いろんなところに書いてますが忙しいです・・・。
8月は特に忙しい。
今、研修が嵐のように押し寄せてきていて、20日、21日、23日、24日、25日、研修で、来週も30日、31日、1日が研修です。
そんな中で、今日、初めて、家に同僚を招きました。
こんな忙しいのに!!
そう忙しいので、、今日しか呼ぶ日がなかった・・・・。
同僚と言っても、週末に私の仕事部屋にやってくるボランティアさんです。
もう御年77歳のボランティアさんなんですが
とにかく頭がいい。
最新の情報とかも知っていて教えてくれる。
すごく素敵な女性なんです。
8月に入り、終戦の日前後になるとどうしても戦争の話しが話題に出ます。
そのボランティアのAさんが戦争の時の話を始めました。
「子供の頃、北朝鮮にいてね。命からがら逃げてきた。」
「江南」(こうなん)
「38度線」
「 咸興」(かんこう)
どこかで聴いた名前・・・・。
そうだ、ばあちゃんが昔住んでいたところだ!!
Aさんは77歳、うちのばあちゃんは81歳。
ちょうど同じような子ども時代を送っているはずだ。
8月は忙しかったのでなかなか引きあわせる時間がなくて困っていたのですが
仕事が終わった後、強行突破、Aさんの家までお迎えに行ってうちにお連れして婆ちゃんと引き合せました。
2人はもう親しい幼なじみのように喋り続け・・・・・・。
途切れることなく話していましたね。
会わせて良かった、と思いました。
「何日も山を越えて38度線を目指した。歩けない母親を山に捨てに行く娘さんの泣き顔が忘れられない。」
「ロシア人に見つかると殺される、乱暴されるといけないから女の子はみんな丸坊主にされた。」(2人とも丸坊主になったと)
「疫病が流行ってこのままじゃ皆死ぬ、どうせ死ぬのなら日本に近いところで死のうと話し合った。」
「見つからないように夜歩いた。昼間寝て夜歩いたが、それでも疲れて立ちながら寝てしまった。」
逃げる時の話を聴いているとまるで本か映画の世界の話のようです。
敗戦の色がまだ色濃くない頃の話は
「毛ガニをおやつ代わりに食べた。」
「りんごがとにかく美味しかった。すごく美味しかった。日本に帰ってきてからりんごが(美味しくなくて)食べられなくなった。」
と楽しい思い出の話も盛り上がっていました。
実はあの「岸壁の母」で有名な舞鶴にAさんは引き上げて来たそう。うちのばあちゃんは博多に引き上げてきた。
2人共終戦の昭和20年には帰れず、翌年21年の5月に戻ってきたそうなのだけれど
10ヶ月も音沙汰なしだったから
ばあちゃん談「家に戻ったら婆ちゃん(ばあちゃんのばあちゃん)が私らを見て"どこの乞食か"と思った」らしく
Aさん談「家に戻ったら婆ちゃん(Aさんのばあちゃん)が私らを見て"幽霊が出た"のかと思った」らしく
まあ「まさか生きて帰ってくるとは!」と大騒ぎになったそうです。
この(うちの)婆ちゃんが生きていたから、旦那が生まれて、うちの子どもたちが生まれたわけですから。
運命に感謝ですな。
行きも帰りも車で送り迎えをしたのですが、
玄関先でばあちゃんとAさんはハグして再会の約束をしていました。
次は冬かな。
友達が出来て良かった良かった。
・・・ああ、明日も仕事だ・・・・・。
いい仲立ちをされましたね。
歳をとって
身の回りに話し相手が少なくらるのは寂しいですね。
また、認知症が進むと
ここでお二人が話されているような昔話も
できずに
本当に寂しくなるのでは?
と、義母93歳の近況を聞きながら思いますね。
古瀬先生、コメントありがとうございます。
研修の前のひととき、コメントを書いております(笑)
ホント、いつもバタバタしていてお恥ずかしい限りです。
義母とAさんは本当に旧知の仲のようでした。
同じ体験や苦労を共有しそれを振り返り思い出話が出来るということは素晴らしいことなのだと2人の笑顔を見て実感しました。
こういう場をたくさん作りたいですね。
レク作りのヒントにもなりそうです。