実習の先生に「ユニットケアのいいところ、悪いところ」について聞かれました。
私が勤務している老健施設はユニットケアでなく従来型の大規模、十把一絡げケアがまかり通っている施設です。
食事は配食車でゴロゴロと運ばれてきて、40人一斉に食事をします。
排泄定時誘導も全員一緒に。
入浴も流れ作業的に行われています。
実は認知症棟が一番手をかけて差し上げなくてはならない場所なのに、一般棟の入所者様の方が選択肢が多く、ケアが行き届いているようにも感じます。
実際認知症棟だと「どうやってケアをするのが本人の為にいいのか」介護職員がわからない状態なんじゃないかと思ったりもします。
表現が出来なくなった方の気持ちを推し量ることはとても難しいことだと思いますが、そういう方と元気に歩き回っている利用者さんを一緒に同時刻にまとめてケアする、と言うこと自体、無理があるのかなとも思うんです。
ユニットケアは利用者の差別化を呼ぶと言う方もいますが、十把一絡げを思えば、一つ上を行くケアなのではないかとそんな風に考えます。
「個人」を見極める為には「個人を大事にした」ケアが行われるべきで、そう考えると、ハードだけでなくソフトまでもがユニット化されている、そういう状態がベストなのではないかと思いました。
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I先生への手紙
I先生
私が現在勤務している老健は、従来型の(ユニットでない)大規模な老健施設です。
6階が一般棟55名、5階も一般棟、50名、4階が認知症棟40名、の入所施設です。
殆どが長期入所で、何人かショートステイもいらっしゃいます。
老健は中間施設と銘打っていますが、どこも同じ、3ヶ月で自宅復帰する方なぞ一人もいらっしゃらず、老健間のたらいまわし、或いは特養待ちが殆どです。
特養で実習をすることになり、この施設がユニットケアを行っている、と言う話でしたので、その違いも見てみたいと思っておりました。
最初に受けた印象は「ユニットの環境っていいな」と言うことでした。
例えば、従来型、集団処遇の施設ケアだと、介護効率を最優先しますから、十把一絡げのケア、利用者さんに何もさせない過剰介護、こんなものが、「仕事の回転をよくするコツ」として常識になってしまいます。
私は特に排泄ケアにこだわりを持っている介護職員なのですが、認知症の方にとって朝の排泄がどんなに大事か(認知症でなくても朝トイレでゆっくりしたい、は人間の自然な生理的欲求だと思っています)わかっていながら、40名を早番一人、日勤一人でトイレ誘導、トイレ介助していると、「一人一人の気持ちに添った」排泄ケアなどとても出来なくなります。
「マイナス3日だからナースに言ってテレミン挿肛ね。」「床ずれが出来ているからアズノール塗っておいて。」
これくらいしか職員は気にしなくなってしまいます。
「この方は朝たくさんお茶を飲んだからちょっと早めに誘導」という丁寧な気配りはなくなり「行きたいって言ってるけどさっき行ったばっかりなのよ」などと、本人の意思を無視したトイレ誘導がまかり通っています。
「個人を見ないケア」が当たり前になってしまっています。
建物も「大きいトイレの周りに排泄準備室があり、ちょっと離れて汚物室があり」って具合に集中しており、マンパワーの関係もあって、「みんないっぺんに準備して片付けないと他のルーティンワークが回らない」状態です。
ユニットケアのように少ない人数ではありませんから、40名の排泄について、いちいち「さっき行かなかったから30分後に誘導」などやってられませんし、そのうち、トイレ行かなかったのはAさんだったのか、Bさんだったのか、挙句に「Bさんは行ったんでしょう?誰が排泄チェックした?え?憶えてない?」みたいな感じになって、結局、「誰が再誘導」は職員全員の記憶から消えてしまいます。
じっくり排泄ケアに携わる余裕など無くなってしまうのですね。
排泄だけでなく、食事も、入浴も、レクリエーションも全て「フロア単位」で行われています。
「生活」ではなく、ひどい言葉で言うと『収容されている』と言った感じです。
強く思うのは「利用者さんの視点」からして、ユニットは「生活している」と言う気持ちになるのではないか、と言うこと。
ユニットでない場所は「施設入所している」と言う気持ちだと思います。
ここで職員が「施設入所は施設入所なんだから仕方ないじゃない」と言う考え方をするか、「これじゃ気の毒だ、生活から程遠い、少しでもプライバシーを、少しでも個性を出せる環境を」と言う考え方をするか、で、実際、ケアの形も変わってくるんじゃないかと思います。
今度は「ユニットでない方がいい」と思う点について。
トイレ介助は老健介護職員の主たる介護業務ですが、35人を3人で行うようにしています。(40人利用者様のうち5人はオムツ)
ユニットだと16人を2人で行うようになるようですが、例えば、立位が不安定な方のトイレ介助を2人で行っている時に、どこかで(立てないはずの)認知症の利用者さんがフラフラと歩いているのを見かけた時、「3人いたら対応が出来る」と思いました。
「1人」や「2人」でケアすることになった時、おそらく不安が大きいだろうな、と思いました。
主任さんが仰っていたのですが、「1人で見なくちゃいけない」が続くと、知らず知らず拘束に似た行為をしてしまう。」のだそうです。
ある職員に私が「○○さん、手引き歩行可能な方ですが、ああやって車椅子に座っていて立ち上がったりしませんか?」と聞くと、正直に
「フットレストに足が乗っているから怖くて立たない。」と仰っていました。
こういう事を指しているのだろうな、と思いました。
大勢を大勢で見ている老健では、「あっちが大変だから手伝ってくるから」や「Aさんが泣いているから話を聞いてくる」や「レクの仕事があるから今日は30分で抜けるよ」などの、融通がききます。
工夫しながら、みんなでいろんな仕事が出来るということです。
そして、たくさんの利用者さんと接することが気分転換になり、ストレスも軽減されるように感じます。
「長屋」のようで、(職員も利用者も)みんなで助け合っていて楽しいなと思うこともあります。
でも、やっぱり自分が利用者の立場になったらプライバシーは欲しいし、選択肢は多ければ多いほど、「生きている意味」を感じると思います。
十把一絡げの従来型の施設にはそれがありません。
主任さんも仰っていましたが、「ソフト面」「ハード面」両方ユニット化するのは難しいと思います。
従来のケアを小さく区切っただけでは意味がない、
独立した「生活」が幾つもある、と言うユニットでなくては意味がない、
と思いました。
ユニットは1人1人個別に対応出来るものだと期待して実習に入りましたが、やはり人手不足で、「1人1人見る余裕がない」が現実のように感じます。
職員さんが淡々と仕事を流していきます。
なので、私は「環境はユニット」でも「生活は長屋」でもいいかな、とちょっとそんなことも思いました。
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老健と特養、役割が違うわけですから比べられないのかもしれませんが、
せっかくユニットケアを経験したので、書きとどめておきます。
読ませて頂きました、有難う。
まったく、JUNKOさんの仰る通りなんです。
従来型ケアを否定しユニットを礼賛することが、良い介護。
ユニットケアの流行に、とにかく乗り遅れまいと
型だけユニットを謳っている場合もあります。
多床室にトイレは2ヶ所、30人フロアを入所者、職員共に、
真ん中で区切り15人フロア、ユニットケアの始まりです。
(注:職員1・5は正職1人+パート1人の勤務時間計算で表したものかと思います)
ユニットケアは職員犠牲(見守りと業務で心身は疲労困憊)と書きましたが、曳いては、入所者も犠牲になる結果もあります。
各ユニットで米炊き、汁作り、時にオヤツ作り。大皿副食の個人皿への取り分け、食卓へのセッテングなど(この手の作業に利用者さんを絡めます)
「老健でグループホームみたいなことをしている」と表現されたこともあります(少し的を得てます)
当然、従来型と時間は同じですから、効率の悪さ(総ての業務に時間がかかります)は、何かの時間を削ります。
職員の休憩だけでなく、必要と思われるケアにも及んでしまいます。
従来型ケアは保温設定された配膳車で、セッテング盆ごと利用者さんに出せます。(早い)
ユニット?は時に利用者さんが手伝い、炊飯ジャーから茶碗に、鍋から椀に、大皿から小皿に、箸を揃え、ランチョンマット(毎日洗えません)に並べていきます。
(分配量、衛生、火傷、転倒の心配をし、職員は神経が磨り減り、利用者は待ち草臥れます)
怒涛のような従来型ケア入浴は、職員ものぼせ気味ですが、効率は良いです。
ゆったり入浴のユニットは、ほぼ1人で準備・声かけ・移動・着脱・洗身・片付けまで。効率悪く、時に危険です。
同じケアの時間内で何を選び、何を捨てるのか
経営者側や、職場トップの考え方によります。
ケアの理想郷と、ユニットケアに安易に走ることは止めて下さい。
現在の施設入所待ち状況では、まず利用者側に選択はありません。
かって、ユニット施設で
「あのね、私、頭が変なんやけど、オシッコに行きたい気がするの」と
言われた言葉が今も脳裏を去りません。
(頻繁なトイレの訴え、トイレ誘導しても排尿なし、また自力で立てず二人介助、職員に迷惑をかけている遠慮を含んだ言葉)
この言葉を何とか少しでも解決したくて、認知症ケアの勉強を始めました。
認知症ケアが総てを解決してくれないこと分かりますが、
現場職員のケアの足がかりとして、何かをせずにいられなかったのです。